「テイクアウト」を深堀り

テイクアウトとは

和製英語であるテイクアウト

日本において、客が飲食物をお店から持ち出して自宅や会社などに持ち帰るシステムを「テイクアウト」といいます。
「持ち帰り」や「お持ち帰り」と同じ意味で使用されています。「テークアウト」と表記する場合もあります。
なお、スタッフや専門業者が客に直接届けるシステムは、「デリバリー」や「出前」といいます。
店内飲食は、「イートイン」といいます。
ちなみに、既に調理済みですぐに食べられる飲食物を持ち帰ることを「テイクアウト」といい、調理が必要な生鮮品などを持ち帰ることは便宜上「テイクアウト」とはいいません。
「テイクアウト」に似たシステムとして、「ドライブスルー」があります。自動車に乗ったまま注文、受け取りが可能なシステムで、「テイクアウト」の一形態といえます。

to goってなに?

前述の通り、「テイクアウト(take out)」とは和製英語であり、英語圏でtakeoutと言ってもまず通じないでしょう。
日本では、「店内でお召し上がりですか?お持ち帰りでしょうか?」とよく店員から聞かれますが、英語では、「Stay or go?」や「for here or to go?」などと聞かれることが多いようです。客側がお持ち帰りしたいことを伝えるときは、「to go.」や「to eat out.」というのが一般的なのだそうです。
当サイトの「toGO」もこれに由来しています。
「テイクアウト」を意味する他の表現としては、「carry out」「parcel」「take away」「tapau」などがあるようです。

日本のテイクアウトの歴史

現代の忙しい日本において、テイクアウトやデリバリーといったサービスは誰もが使ったことのある便利なものです。その歴史をさかのぼってみると、江戸時代には既にいろいろな食べ物をテイクアウトする文化があったようです。
江戸の庶民がよくテイクアウトしていたものは、「お惣菜」だったそうです。現代と同じように仕事帰りに買って帰る文化があったようです。江戸には独身男性が多く住んでいたこともテイクアウトが普及した要因と言われています。
江戸時代には様々な屋台があり、とても繁盛していたといいます。飲んだ帰りに屋台で寿司やおにぎりをテイクアウトして、家族へのお土産にするといったことも一般的だったようです。

お弁当の歴史

テイクアウトの代表的な品として「お弁当」があげられます。コンビニの定番商品であり、最近ではデパ地下などで専門店の味が楽しめます。日本人なら誰もが大好きな「お弁当」は、平安時代が起源と言われています。(諸説あり)
当時は、おにぎりのほか、乾燥米を持ち歩いていたとか。乾燥米は、腐敗しにくく、そのまま食べることもできたのでお弁当として最適だったそうです。

札幌の歴史

札幌、さらには北海道の歴史は、アイヌと深く関係しています。アイヌの人々が住んでいた蝦夷地は、明治2年(1869年)に北海道と名付けられ今の札幌市に開拓使が置かれ北海道全体の開拓が進められていきます。明治8年(1875年)に最初の屯田兵が入植し、本格的に札幌という日本最北の巨大都市が築かれていきます。昭和45年(1970年)には人口が100万人を突破し、2年後の昭和47年(1972年)に政令指定都市へ移行しました。

札幌の代表的!?テイクアウト商品「月寒あんぱん」

明治43年(1910年)に、現在の豊平地区が札幌に編入されました。その際に豊平地区にあった役場を月寒に移転しました。これによって平岸などの住民が月寒の役場にいくために豊平まで迂回するしかないため多くの苦情が上がったそうです。町は平岸と月寒を直接つなぐ道路の建設を計画しますが、十分な予算がありませんでした。そこで、月寒に拠点があった陸軍に協力を要請し、住民と軍がいっしょに作り上げたのが、「アンパン道路」です。
なぜ、そのような名前がついているのかというと、工事に参加した兵士たちにアンパンがおやつとして支給されたからだとか。そのアンパンは、今でも「月寒あんぱん」として市民に親しまれています。月寒あんぱんは札幌を代表する歴史的なテイクアウト品といえるのかもしれません。